コーチングといえば、対話を通して明確な答えを出していくことに価値があると、そんなふうに考えるのがふつうかもしれません。しかし実際に20年以上コーチングに携わってきて、毎回のセッションで、どのくらい明確な答えを出すことに貢献できているか。それを考えると、たぶん私の打率はそれほど高くありません。
自分がコーチングを受ける場合も同じで、ある一つのことを前提にしてコーチと話をしはじめたら、途中で前提が崩れ、振出しに戻る…そんなことが何度もありました。
変な話、答えの出るテーマを選んだら、答えは出ますよね。コーチングを始めた頃、誰だったか忘れたけれど、「答えを出せるようにテーマを設定していくことが大事なんだよ」と言っていた人がいました。
自分がコントロールできる領域をみつけるとか、行動につながるヒントをブレークダウンする、という意味ならわかります。しかし本当に観るべきことを見過ごして、イージーなやり取りで結果にコミット…というなら、それは最悪です。
自分の立場が複雑になるほど、大事なテーマを構成するパラメーターは増え、簡単に答えを出せなくなります。また仕事や組織、あるいは人生そのものをとらえる解像度が上がるほど、明確な答えからは遠ざかっていきます。

人間は認知機能を省力化するために、いつまでも悶々と考えることを避けようとします。分かりやすくマニュアル化されていたり、極論で説得されると、そこに飛びつきたくなることがあります。自分の関心に合っていたり、それまでの自分の考えや価値観を肯定してくれる内容だと、マニュアルや極論のパワーは絶大です。
コーチングの会話はマニュアルでも極論を煽ることでもないはずですが、「対話を通してクライアントの答えを引き出す」というステレオタイプに拘泥してしまうと、同じようなメカニズムが働く可能性があります。
実は、コーチングにおいて百発百中とは言わないまでも、それに近いかたちで常に答えを出せるようにするのは可能です。それは次の条件が整った場合です。
・パラメーターの少ないシンプルなテーマ設定
・テーマに取り組む基本的なスキルセットがある
・協力を得たり情報を集めるなどのリソースがある
・今までの信念体系の枠組みで処理できる
ここに、コーチと協働していく建設的な関係性があれば、ほぼコーチングは機能します。こうやって「勝ちゲーム」をみつけることが馬鹿げている、とは言いません。そこにもコーチングの価値は見いだせるし、一人でがんばるより物事が加速するケースはたくさんあります。
しかしコーチングの真価が現れるのは、こうした条件が足りていないときです。一人では押しつぶされそうになったり、そうなるのが嫌で本質的な問題を回避したくなるときに、コーチが伴走することの価値は何倍にもなってきます。
コーチングで扱うテーマの複雑性が極まるトップリーダーに対するコーチング費用は、一般ビジネスパーソンに対するコーチングより遥かに高額です。これはグローバルレベルではコーチングの常識。
クライアントに接する時間が長くなるなど、必ずしも工数が増えるからではありません。扱う内容が深く広くなり、そのプロセスと結果の波及効果が大きくなるからです。
この文脈のまま話をつづけると、「高いコーチング」ほど「答えを出せない」ということになるかもしれません。
立ち止まって本質に向き合う。分かっていたはずのことが、実はまったく違っていた。今まで是としてきた自分の信念が揺さぶられ始めた。仮面を被っていたことに気づいたが、素顔をさらけ出すのは不安だ。これでもかというくらい諦めなければならないことがありそうだ。ここまでリスクを負うことはできないが、それをしなければ先に進めそうにない。
矛盾だらけ、葛藤まみれ、自分の嫌な部分があぶり出される。
いつもそんなことをするわけではないけれど、コーチングには、そういうチャレンジがあります。この人類史レベルの大転換期にコーチングを生業としていくなら、そこは避けては通れないと私は考えています。
そんな簡単に答えを出せないことに気づく。コーチングは、そこから始まります。
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マンスリーMiLI 6月25日(金)19:00‐21:00
ボディワーカー小笠原和葉さんと吉田典生のコラボレーション
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