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降りていくコーチング

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ファンではないのですが、自分の青春時代に喝采を浴びていた
アーティストが、転落していく姿を見るのは悲しいです。

芸術家が名作をつくるピーク年齢を、
分野ごとに比較した記事を読んだ記憶があります。

たとえば画家は、かなりの高齢になってから
歴史に残る作品を描いているケースが珍しくありません。
一方、音楽家はピーク年齢が早いのだという指摘。

あらためて調べてみると、大器晩成の音楽家もたくさんいて
かつて読んだ記事の信憑性は低そう。

しかしポップミュージックにかぎると、若干アスリートに近いような
ある種の限界年齢を感じないでもありません。

ただの印象論はさておき、
事実として「書けなくなった」自分を否定して、
過去の姿を追いかけるのは残酷。

スポーツであれば、たとえ追いかけようとしても、
否応なしに肉体のリアリティが自分にフィードバックを与えます。
しかしポップミュージシャンには、それがない。
それって、とても残酷なことだと思うのです。

今の体力に応じた歌唱法で、
昔の名曲を歌い綴るのもいいじゃないか。

スタジアムから小さなホールに箱を代えて、
吐息まで伝わるようなパフォーマンスも素敵じゃないか。

最後まで残った古いファンと、
昔話に花を咲かせるようなステージも楽しいかも。

バリバリのロック小僧だった私は、
往年のアーティストが昔の栄光にすがるのを見るのが嫌いでした。

しかし今回、ASKAがパトカーで移送される姿をみて、
それは違うのではないかという、新しい視点がうまれてきたのです。

もっと上へ、もっと大きく、さらに多くの成果を。

食料もエネルギーも領土も、売上げもシェアも顧客数も、
そういう文脈で彩る世界の在り様を、やめようぜと言っているのに。
それなのに心のどこかで、ホームランを打てなくなったポップスターを、
あの人は〝落ち目〟などと感じている自分がいる。

そのことに気づきました。

そして浮かんできたのが、
人生の下り坂を、静かに味わいながら降りていくためのコーチング。
そんな言葉。

おそらくこれは、今の文明にも言えることであって、
ここを通ることなく、新しい世界は現れてこないでしょう。

だから、降りていくコーチングは、これからとても重要になる気がします。

Comments

林忠之 より

てんせいさん、素敵な視点ですね。
その時々の人生を味わい尽くす。
例えば、老いを老いとして受け入れながら、
その瞬間を生き抜く為のコーチング。
ボクもそんなコーチングを提供したいと思っているひとりです。

| 2014年5月20日 | 11:10 PM |

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