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繋がりやすい人とばかり、繋がる危険について

ユーザーの閲覧履歴にもとづいて、その人が見たい(と検索エンジンが判断する)情報を取捨選択して届ける。Googleで言うところの“パーソナライズド・サーチ”が、前回のブログで取り上げたような分断を促しているという指摘があります。

前回取り上げたのは、米国のブロガーたちがリベラル派同士、保守派同士でリンクされる傾向が顕著で、両派のブログのつながりが極めてすくない・・・という内容でした。
 
たとえばマインドフルネスに関心のある人には関連書籍の新刊情報が早く届き、〇〇ワークショップの様子がシェアされ、「マインドフルネス、すごい盛り上がってますね」があいさつ代わりになったりします。

ここにあるのは、1964年の東京五輪前の日本みたいな国民的盛り上がり?なわけはないですよね。でも盛り上がっている塊のなかにいる人にとっては、東洋の魔女の応援で銭湯から客が消えた盛り上がりに負けないかもしれません。 

金融情報だろうがAIだろうが、〝プ女子“効果で復活著しいプロレスであろうが、同じ関心を持つ人々の塊のなかでは、「〇〇〇、すごい盛り上がってますね」・・・になります。こうしてたくさんの塊ができて、人々がそれぞれの関心のなかで集団として孤立していきます。なんていうことを「フィルターバブル」という表現で伝えたのが、2012年に『閉じこもるインターネット』(早川書房)という本を出したイーライ・パリサーでした。

当時、クリス・アンダーソン(元WIRED編集長、現3Dロボティックス社CEO)さえも絶賛したこの論点には、「パーソナライゼーションの影響は軽微」、「むしろフィルターは各自の好みを拡張する方向に作用している」といった反論も少なくありません。

要するに明確な答えは出ていないのですが、私はフィルターが各自の好みを拡張している・・・という反論に興味を持ちました。たとえば同じフィルターバブルのなかにいる人でも、自分とカバーする範囲が完全に重なり合っているわけではありません。一つのバブルのなかにも、とても濃いつながりの人もいれば薄いつながりの人もいます。飛び交う情報に対してオープンな好奇心をもっていれば、同じバブルにいる人の「自分と重なり合っていない情報」が、自分の世界を広げるきっかけを作ってくれるかもしれません。

一方、「そんなことは知っている」「これは興味ない」「関係ない」・・・といったクローズドな好奇心だと、フィルターバブルは孤立を促すでしょう。

イーライ・パリサーはフィルターバブルを、「検索エンジンのアルゴリズムによりもたらされる、情報の個人的生態系」と定義しています(Wikipedia)。この生態系が閉じてしまうと、生命は孤立に向かい生存が危うくなると思います。生態系は自立したもの同士の繋がりであり、孤立したものたちが個別に存在しているわけではないから。

テクノロジーがもたらしているフィルターバブル自体の是非は、あまり問題ではないと私は思います。それよりも、「いま自分はどんなフィルターを通じて物事をとらえているのだろう」と、問いかける姿勢が大切ではないでしょうか。
それによって同じバブルのなかにいる人から、違うバブルに旅するきっかけがもらえます。そして違うバブルで人と出会い、新たな繋がりが生まれてきます。

ときに摩擦も高まるでしょう。「なんで言語が通じないんだろう」という戸惑いも感じるでしょう。なかなか合意が得られず、嫌になることもあるでしょう。しかしこの複雑系が極まった現代において、多様な視点を分かち合うことは、簡単に答えを出すことより優先されるべき局面が多いと思います。

マインドフルネス?ぜんぜん知らないですよ、田舎の親戚や昔の同級生のほとんどは。そして恐らく、私も知らないのです。生まれ故郷の小さな町でどんどん高齢化が進み、学校の統廃合が進んでいるなかでは何が重大な問題で、どんなことにいちばん惹かれるかについて。想像や上辺の知識と、実際そのシステムに浸ってこそわかることは、まったく違うはずだから。

自分がいくつかのフィルターバブルに影響を受けて、それがたとえばこの文章にも反映されている。その限界に対して謙虚でないと、やばそうです。

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7月1日 13:00 – 19:00
マインドフルネス×DiSCの実験的ワークショップ

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