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政治のOSが議論されなかった選挙戦

繰り返し起きていることを俯瞰する。これはシステム思考で必須だ。
たまたま・・・ではなく、繰り返されるという事実。
こうした結果には、必ず相応の原因がある。
ただし原因と言っても、「誰が何をした」という局所的な話ではない。
繰り返されるということは、もっと再現性の高い原因があるということ。
それを一言で表わせば、繰り返しを生む「構造」ということになる。
総理や大臣がコロコロ変わるような繰り返し、
忘れた頃に重大事故が起きるような繰り返し、
新しい社員が入ってきては辞め、また採用して・・・という繰り返し、
シャバと刑務所を行ったり来たりして人生が過ぎて行くような繰り返し。
・・・・・・。
いずれも、「誰が」や「何を」といったように部分を取り出すだけでは、
解決には至らない。
選挙直後なので切り口をしぼろう。
政治における諸々の政策はアプリケーションであり、
このアプリケーションの作動具合はOSの出来にかかっている。
このOSにあたるのが統治システムという構造だ。
問題だらけの日本、
選挙前に多くの人々が口にしていた「政策の違いがわかりにくい」・・・は、
当たり前のこと。そもそも打ち手が限られているのだ。
経済を上向きにさせねばならないし、同時に無駄を削減しなければならない。
原発議論は割れているようにも見えるが、
社会の安全確保という大前提に議論の余地などない。
だから大切なのは、
ほんとうにアプリケーションを機能させられるように、
OSを更新することだ。
ところがメディアも有権者もそこに目を向けることは少なく、
候補者や政党に絶好の〝踏み絵〟を提示できずに選挙は終わった。
この愕然たる事実の根底に、
構造の更新を阻む日本人一人ひとりの意識の力が働いている。
それは、「自分にはどうすることもできない」という意識。
「政治」と「自分」を分離し、「権力」と「生活」を区別するメンタルモデルだ。
実はこの意識が、もはやシーラカンスのような構造を強化している。
自分にはどうすることもできない、と思っている構造は、
そう思っている無数の意識によってつくられ、
ゾンビのように維持強化されているのだ。

Comments

浦井しげみ より

そろそろ、政治も経済も教育も、庶民の手に戻したいと思う今日この頃です。

| 2012年12月17日 | 9:31 PM |

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