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なぜ「同情」よりも「金」なのか?

その昔、幼い安達裕美は、どうして「同情するなら金をくれ!」と言ったのでしょう。

あのとき彼女が言った「同情」は、「他人目線で可哀想だと思われたって、どうしようもない」という気にさせるような、他人から寄せられる情(なさけ)だったのではないでしょうか。

可哀想だと感じているのは事実だけれど、それは自分が経験していることではないから所詮は他人事。テレビのニュースに映る遠い国の戦乱に苦しむ人々を憐れむのと、幼い安達裕美を憐れむ感情は同じ種類のもの。少なくとも情けをかけられた当人には、そう感じられるものだったろうと思います。

これは英語だとsympathy(可哀想だと思う気持ち、同情)がもたらした結果でしょう。

ネイティブでも区別は案外むつかしいらしいとも聞きますが、似て非なる言葉がempathy(共感)です。

sym(同調する~)に対して、emと言い接頭語は「中へ~」という意味があるので、empathyは相手の感情を実際に味わっているというニュアンスになります。いくつかの解説をみてみると、同じ経験をしたことがある人が、他者の苦しみなど感情を共有する・・・共感、ということで、他人目線のsympathy=同情とは区別されるようです。

さらに心理学や臨床現場で重視されるempathyは、「中へ~」によって可能な深い理解と、それにもとづく相手への手助けが含まれます。EQ(感情リテラシー)において共感が不可欠の要素として位置づけられるのも、こうした行動の伴うものだからです。

それでは、自分が相手と同じ経験をしていないかぎりはsympathyを寄せることはできても、empathyをもつことはできないのでしょうか。そう結論づけてしまったら、社会の健全な発展も組織変革もないだろう、というのが私の立場です。

他人目線で安達裕美に拒絶される同情ではなく、少女の心の中にある共感から生まれてくるもの。それを探求していきたいと思います。

繋がりやすい人とばかり、繋がる危険について

ユーザーの閲覧履歴にもとづいて、その人が見たい(と検索エンジンが判断する)情報を取捨選択して届ける。Googleで言うところの“パーソナライズド・サーチ”が、前回のブログで取り上げたような分断を促しているという指摘があります。

前回取り上げたのは、米国のブロガーたちがリベラル派同士、保守派同士でリンクされる傾向が顕著で、両派のブログのつながりが極めてすくない・・・という内容でした。
 
たとえばマインドフルネスに関心のある人には関連書籍の新刊情報が早く届き、〇〇ワークショップの様子がシェアされ、「マインドフルネス、すごい盛り上がってますね」があいさつ代わりになったりします。

ここにあるのは、1964年の東京五輪前の日本みたいな国民的盛り上がり?なわけはないですよね。でも盛り上がっている塊のなかにいる人にとっては、東洋の魔女の応援で銭湯から客が消えた盛り上がりに負けないかもしれません。 

金融情報だろうがAIだろうが、〝プ女子“効果で復活著しいプロレスであろうが、同じ関心を持つ人々の塊のなかでは、「〇〇〇、すごい盛り上がってますね」・・・になります。こうしてたくさんの塊ができて、人々がそれぞれの関心のなかで集団として孤立していきます。なんていうことを「フィルターバブル」という表現で伝えたのが、2012年に『閉じこもるインターネット』(早川書房)という本を出したイーライ・パリサーでした。

当時、クリス・アンダーソン(元WIRED編集長、現3Dロボティックス社CEO)さえも絶賛したこの論点には、「パーソナライゼーションの影響は軽微」、「むしろフィルターは各自の好みを拡張する方向に作用している」といった反論も少なくありません。

要するに明確な答えは出ていないのですが、私はフィルターが各自の好みを拡張している・・・という反論に興味を持ちました。たとえば同じフィルターバブルのなかにいる人でも、自分とカバーする範囲が完全に重なり合っているわけではありません。一つのバブルのなかにも、とても濃いつながりの人もいれば薄いつながりの人もいます。飛び交う情報に対してオープンな好奇心をもっていれば、同じバブルにいる人の「自分と重なり合っていない情報」が、自分の世界を広げるきっかけを作ってくれるかもしれません。

一方、「そんなことは知っている」「これは興味ない」「関係ない」・・・といったクローズドな好奇心だと、フィルターバブルは孤立を促すでしょう。

イーライ・パリサーはフィルターバブルを、「検索エンジンのアルゴリズムによりもたらされる、情報の個人的生態系」と定義しています(Wikipedia)。この生態系が閉じてしまうと、生命は孤立に向かい生存が危うくなると思います。生態系は自立したもの同士の繋がりであり、孤立したものたちが個別に存在しているわけではないから。

テクノロジーがもたらしているフィルターバブル自体の是非は、あまり問題ではないと私は思います。それよりも、「いま自分はどんなフィルターを通じて物事をとらえているのだろう」と、問いかける姿勢が大切ではないでしょうか。
それによって同じバブルのなかにいる人から、違うバブルに旅するきっかけがもらえます。そして違うバブルで人と出会い、新たな繋がりが生まれてきます。

ときに摩擦も高まるでしょう。「なんで言語が通じないんだろう」という戸惑いも感じるでしょう。なかなか合意が得られず、嫌になることもあるでしょう。しかしこの複雑系が極まった現代において、多様な視点を分かち合うことは、簡単に答えを出すことより優先されるべき局面が多いと思います。

マインドフルネス?ぜんぜん知らないですよ、田舎の親戚や昔の同級生のほとんどは。そして恐らく、私も知らないのです。生まれ故郷の小さな町でどんどん高齢化が進み、学校の統廃合が進んでいるなかでは何が重大な問題で、どんなことにいちばん惹かれるかについて。想像や上辺の知識と、実際そのシステムに浸ってこそわかることは、まったく違うはずだから。

自分がいくつかのフィルターバブルに影響を受けて、それがたとえばこの文章にも反映されている。その限界に対して謙虚でないと、やばそうです。

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7月1日 13:00 – 19:00
マインドフルネス×DiSCの実験的ワークショップ

つながる力を鍛える< マインドフルリレーションシップセミナー >

つながる力とネガティブケイパビリティ

これは米国のリベラル派の人たちのブログ(青)と保守派の人たちとのブログ(赤)が、それぞれどのようにリンクされているかを示したものです。

下記の本に紹介されているもので、著者は人々のつながり(社会的ネットワーク)が健康に及ぼす影響についての研究で知られるニコラス・A・クリスタキス氏(医学博士。ハーバード大学医療社会学教授)ら。

リベラル派から保守派へのリンクはオレンジ、保守派からリベラル派へのリンクは紫で示されているのですが、わかりにくい(!)。そもそもリンクはリベラル派同士、保守派同士で埋め尽くされているからです。その意味では、政治思想と人々のつながりの関係が、とてもわかりやすいと言えます。

トランプ大統領の登場によって米国内の分断が進んでいるかの報道が目立ちますが、これを見ると、もともと分断されていると解釈することもできそうです。

このことが、ゴールデンウィークに読んだべつの本『ネガティブケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生著 朝日選書)と、私のなかで化学反応を起こしました。

ネガティブケイパビリティとは、不確実なこと、曖昧な問題などを安易に解釈して“スッキリ”しようとせず、「わからないこと」や「どうしようもないこと」をそのまま受容する能力。人は直面することを意味づけして、物事や状況、他者などを理解(解釈)することで、”スッキリ”しようとする習性がある・・・と著者は述べています。政治の世界に広がるポピュリズムも、ビジネスに横行するマニュアルやハウツーを求める傾向も、たしかにそう考えると納得がいきませんか。

そこで冒頭のブログにもどります。青のつながりと赤のつながりは、スッキリわかりあえる気持ちの良いつながりなわけですね。異論をもつ相手は理解しづらい。でも実際に議論を交わせば、それなりに相手の言うことにも道理がありそうな気がする。だからといって自説を曲げたくはないし、こちらにだって正当な理由はいくつもある(と思っている)。違う色の人とつながっていると、いつもモヤモヤすることになってしまいます。

そういうのは不快だから、結論を導き出しやすい材料を適当にくっつけて相手にNGを突き付けます。こうして繋がりを断てば、”スッキリ”するわけですね。その結果、複雑で変動の激しい時代に不可欠な洞察、それを促す多様な視点が失われます。

関係性を大切にしよう、多様性を活かそうと、組織開発やコミュニティ開発の現場では唱えられています。しかしそれは簡単なことではないし、微妙な対立が同志と思われるような人々の間でも起きてきたりします。そこで必要なのは、解決できないということを受け入れる姿勢。わかり合えない人を否定するのではなく、わかり合えない状況をあるがままにホールドする能力。

そして、モヤモヤした関係のまま向き合い、できることをつづけていく。そうすることで時間が状況を変えていくこともあるでしょう。想定していなかった変数が、複雑なシステムに影響を及ぼし始めることもあるでしょう。他者を理解してうまくやっていくことは、誰とでも気持よく付き合えるようになることではない・・・。そう考えたほうが、地に足をつけて先に進めるような気がします。「わからない」「理解に苦しむ」という物事や他者への実感を、包容したまま今この瞬間に立つということ。

そうとらえると、まだ人間のなかに眠っている叡智の可能性が、少し見えてくるような気がします。ほんとにそうかなあと、モヤモヤしながらそう感じているわけですが。

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日本初、マインドフルネス×DiSCの実験的ワークショップを開催

7月1日(13:00-19:00 @目黒)
つながる力を鍛える~マインドフルリレーションシップ・セミナー~
※事前オンラインアセスメント付

自己認識が高まると自己評価が下がる?

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クライアント企業の次世代幹部育成プロジェクトに半年間取り組みました。

コーチングした4名のうち2名に共通していたのが、
主要な開発課題の多くで自己評価が下がっていたこと。
その一方で、同じ項目について現経営陣と部下からの評価は上昇していました。

その結果、コーチングに着手するまえの事前調査で開きの大きかった自他の認識が、
事後調査ではほぼ一致してきたのです。

採点に現れない定性的なコメントを拾っていくと、
望ましい変化を示唆する部下や同僚のコメントが現れていました。

意識していなかった行動に意識的に取り組むことで、
その2名に起きたのは「うまくできない」という実感でした。
たとえば真の傾聴、ひとつをとっても。

しかし本人たちの実践に対峙している部下は、
上司の変化を実感していたのです。

私たちが主催しているSIYセミナーで、
猫が見つめている鏡のなかにライオンが映っているスライドがあります。
自己認識の歪みを示す私の好きなスライドですが、
今回のプロジェクトの結果をみて真っ先にそれが思い浮かんだのです。

等身大で自己をとらえることができるようになれば、
多様な部下の反応が良きフィードバックになってくるでしょう。
「私は話を十分に聴いている」と思っていたら口を挟んでしまうけど、
「まだ十分に聴けていない」と思ったら、さらに耳を傾けようとする・・・というように。

2名の半年後が、どんな様子かが楽しみになってきました。

残り2名については、また次の機会に。

フィードバックを活かすリーダーの器

『学習する組織』が説く5つの規律のひとつに
「メンタルモデル」があります。
かんたんに言えば、自分が持っている思考の枠組み。
誰にも枠組みはあり、
なければ物事の判断や意思決定が難しくなります。
したがってメンタルモデルは必要、
という言い方もできますが、
固定化されることで障害も起きてきます。

特に今のような変動の激しい社会、
ビジネス環境においては、
これまでの人生経験で形成されたメンタルモデルが、
誤った判断を促す危険性が高まっているといえるでしょう。

だからこそ自分がもっているメンタルモデルを自覚し、
どんな影響を自他に及ぼしているのかに気づくことが大切です。

先日、ビル・トルバート氏による
『アクション・インクワイアリー(行動探求)』
のワークショプに参加しました。

< 組織に及ぼす影響力の大きい経営者やマネジャーは、
忙しい日常の渦中においてメンタルモデルを観察できなければならない >

これは、ビルさんのワークショップで得た大きな学びの一つです。

あとからメンタルモデルに気づくことはできたとしても、
それは失敗のふりかえりでしかないかもしれません。
失敗したことは学びに変えていけばいいにせよ、
ビジネスの重要な局面では失敗自体が許されません。

だから上流部分の意思決定を担うリーダーは、
「行動しながら同時に探求できる人」でなけ
ればならないのです。

ビルさんは現在の組織学習論の先駆者である
クリス・アージリス氏に師事した方で、
『学習する組織』を世に広めたピーター・センゲ氏の先輩、
『U理論』の提唱者であるオットー・シャーマー氏を指導した人物。

ビルさんらによる30年来の実証研究にもとづく
人と組織の発達段階によれば、
ある一定の発達段階までは、
人は自分がもっているメンタルモデルに気づかないそうです。

この研究結果と重なり合うもうひとつの実証は、
同じような発達段階にある人は
他者からのフィードバックを求めない傾向にあること。
つまり自分の興味関心、目的や目標、方法論などを
前提にした行動論理が形成されていて、
そのことが組織の変容に必要な人々の相互性の開発を阻んでいるのです。

さて自分のことを考えてみると、
メンタルモデルの克服とアップデートには
2つのことが欠かせないと感じています。

ひとつは、嫌でもなんでも客観性の高い情報を得ること。
それが科学的で信頼に足るものであることがわかっていれば、
示されたフィードバックを無視することはできません。
ふたつめは、フィードバックを十分に活かす習慣をつくること。
その鍵になるのは、耳の痛い話も受け入れる心の柔らかさと、
改善できているか否かを日常的にキャッチする注意力です。

これらのことが組織開発や人材開発で広く認識されてきていることは、
前者についてはアセスメントへのニーズ拡大からもわかります。

ただしアセスメント(またはサーベイ)は両刃の剣で、
組織と被検者に合意形成がないと失敗します。
そもそも評価を下すためのものなのか、
個人の成長や組織とのより良い相互性を生み出していくためのものなのか。
そこも明確にする必要があるでしょう。

さらに考えなければならないのは、
いかに被検者がフィードバックを活かす器を養っていくかということ。
まだメンタルモデルに気づいておらず、
フィードバックを得ようとしない人の器を拡げることができるのか、という点です。

私自身も経験していることですが、
「どうせ嫌なことを指摘されるのだろう」――と思ったら、
抵抗を感じます。
そして実際に厳しい指摘を受けたら、さらに抵抗を感じます。
それが関係性の思わしくない相手からのフィードバックであれば、
なおさらのことでしょう。

しかし、この逆立つ感情を一歩引いて観ることさえできれば、
欲しくない(けれど必要な)情報が自分に入ってきます。
引いて観る(感じているとき)は、
脳のメカニズムとして、よけいな思考が休んでいるときだからです。
さまざまな考えに惑わされず、情報を受け取りやすくなります。

ですから「いま、心が反応しているな」ということに気づくことが大事です。

これはフィードバックに対する抵抗や反発が自動的に(無自覚なまま)
起きてくるまえに生まれている身体感覚――ムカッとくる、ザワザワする、
締めつけられる感じ・・・といった瞬間的な経験を、
しっかりつかむということです。

そのためには、ふだん見過ごしていることを注意深くとらえる
アテンショントレーニング(注意力を養うトレーニング)が有効です。
ある種の瞑想がビジネスパフォーマンスに好影響をもたらす可能性も、
こうした文脈からみていくことができます。

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◇プロファイルズ株式会社主催セミナー開催  2016年5月11日(水)
自己認識 (Self Awareness)――を礎とするリーダーシップ開発
科学的フィードバック×アテンショントレーニング×コーチングによって、
いかに継続的に次世代リーダー育成を進めていくか

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