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取りに行く情熱、受け入れる感覚

野球、サッカーというメジャースポーツの国内リーグが、
ともに春スタートの日本。この時期はストーブリーグと呼ばれる。
新たなスタートを切る春の前の寒い季節は、決断の季節といえる。
野球では楽天の岩隈、サッカーでは我が川崎の司令塔である中村憲剛が、
海外オファーを蹴って国内にとどまった。
聞くところでは、岩隈は契約条件の折衝で相手に”誠意”が感じられなかったこと、
憲剛は4大リーグ(イギリス、スペイン、イタリア、ドイツ)にこだわったことが、
オファー拒否の理由とか。
それぞれの思いは理解できるけれど、
言うまでもなくアスリートの”旬”は短い。
岩隈にしろ憲剛にしろ、もうピークは過ぎかかっている。
20代前半の選手が一年待つのとは訳がちがう。
そのあたりのことを、彼らはどう考えたのだろうか。
日本でエースを勤めてきた投手が、
「オレの評価は、この程度なのか」という気持ちになるのはわかる。
日本代表の盟友や後輩の何名かが4大リーグで活躍する中、
「トルコリーグに行っても意味はない」と考えるのもわかる。
でも、君の中にあるいちばん強い思いは何なのかを、
彼らに問いたい。
それで、もしも余計なプライドが判断を歪めているとしたら、
なんとも惜しい話ではないか。
少なくともボクが岩隈だったら、あるいは憲剛だったら、
めぐってきたチャンスを受け入れる。
今まで自分が培ってきたものを、より広い世界で試す道を選ぶ。
チャンスは取りに行って取れるとはかぎらない。
取りに行く、こだわる情熱もエネルギーの証だけれど、
何に、どこに、どんな世界から呼ばれているかを感知し、
それを受け入れる感覚は、ときに、もっと重要だ。
ま、川崎のチーム力を考えれば、憲剛が残るのは朗報なのだけど。

心から尊敬する鬼コーチに捧ぐ

プロレス界の鬼軍曹、山本小鉄さんが亡くなった。
ボクはライター時代、
雑誌に連載していた社長インタビュー(当時、新日本プロレスサービス社長)
に登場いただいたのが縁で
それから公私ともにお世話になった。
30代の頃は、小鉄さんを囲んでプロレスを通じて人生を語る“ライオンズサロン”
を六本木や銀座で毎月開いたりした。
初めて、いわゆる“高級クラブ”に連れて行ってくれたのも実は小鉄さんだった。
ボクが会社をつくって本業を今の仕事に移してから、
ずいぶんご無沙汰してしまったことが悔やまれる。
“鬼軍曹”の名のとおり、道場で厳しく選手を鍛え上げることで有名だった。
藤波辰巳や長州力はもとより、
藤原喜明、佐山聡、前田日明、高田延彦といった、
格闘技色の強いプロレスの流れをリードしていった選手たちも、みな小鉄さんの教え子だ。
武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋という、かつての闘魂三銃士も。
鉄拳制裁なんて当たり前だ。率先垂範で膝がぶっ壊れるくらいスクワットをやらせた。
ショーとして魅せるプロレスの奥にある“怖さ”と“強さ”を叩きこんだ。
だからショーが光り輝いた。
もちろん当時、小鉄さんの前でショーなんて言葉、誰も口にしなかったけど。
鬼のコーチングがプロレス黄金時代を築いたのは、
小鉄さんのデッカイ愛情が選手たちに伝わっていたからだ。
その裏話をたくさん聞かせてもらったことは、ボクの人生の宝物である。
本や雑誌に書いたこともあるけれど、書かずにずっと取っておこうと決めていることもある。
二人きりで話して誰にもしゃべっていないことが、たくさんある。
ボクは小鉄さんからプロレスの凄さと奥深さと優しさと楽しさを、たくさん教えてもらった。
それは人生や、いろんな仕事の中で遭遇する出来事に立ち向かう肥やしになっている。
これからも小鉄さんのリング外の弟子として、根性と技を磨いていきたい。
いつも「リングで死ねたら本望だ」と言っていた小鉄さんが、
白いマットではなくベッドの上から戻って行かれたことが、ちょっと悔しい。
あっちで小鉄さんを迎えるのは、力道山かな、カール・ゴッチかな。
きっと小鉄さんのこと、さっそく天国の道場で練習を始めるに違いない。
ボクもまたいつか、天国の新米として取材から始めさせてもらいます。

「得点力不足」というメンタルモデル

Blog
現在、W杯に向けて一時休戦状態にあるJリーグの得点王は、
名古屋グランパスのフォワードでオーストラリア代表のケネディだ。
彼は以前、ドイツの強豪チームであるヴォルフスブルグに2年間在籍するも、
8試合しか出場機会にめぐまれず退団。
現日本代表キャプテン、長谷部が所属するあのチームだ。
その後はドイツの下部チームを転々とした後、トップリーグでの出場を求めて日本に来た。
その間、オーストラリア代表として活躍してきたことは、サッカーファンなら承知のとおり。
なぜケネディの話をしているかというと、
Jリーグのフォワードとしては屈指の存在になりつつある彼も、
世界トップレベルの舞台では並み以下の実績しか挙げていないという事実を直視したいからだ。
そのケネディを制してオーストラリア代表のエースストライカーとして君臨してきた、
あの“日本代表の天敵”キューウェルだって、欧州では中堅レベルのトルコリーグでプレーしている。
で、そんな身近な強敵に後塵を拝している日本代表は、
よく言われるように本当に「得点力不足」なのだろうか。
ボクは、こんな馬鹿げた議論はないと思っている。
もともとサッカーは得点の入りにくい競技だ。そういう競技において、
列強と試合をしたときになかなか点が取れないのは、当たり前のことではないか。
フォワードが弱点?それも違う。
オーストラリアや韓国より、少なくとも現状、個々の技量で少し劣るであろう日本が、
世界トップレベルの舞台に上がったときに、比例して見劣りするだけのことだ。
ある人がツイッターでつぶやいていたけれど、
日本人は忍耐力がなくなり目先の結果だけを求めるようになってしまったのか。
それが、結果を出せない日本代表への冷めた目線につながっているのではないか。
ボクは、かなり共感する。
それが政治や身の回りの問題の捉え方にもつながっているような気がする。
そして、ここにメディアやメディアに乗せられて形成されたメンタルモデルがある。
日本代表が負けると岡田やめろ、・・・を使うな、と文句ばかり言っている素人の多くは、
「得点力不足」という作られた前提の中で思考している。もちろん、それに気づかない。
自分の考えだと思って主張する。
技術論を語れるプロが采配や個々のプレーを批判するのと、ここが根本的に違う。
実はボクが言いたいのは、サッカーの話であってサッカーの話ではない。
国のあり方、政府、職場、地域。ライフスタイル、健康、医療。
大きなテーマから身近なテーマまで、どこにも作られたメンタルモデルの落とし穴が潜んでいる。
常に批判を。安易な答えを求めず、自分の問題意識の持ち方それ自体を問い続ける姿勢を。

個+個・・・ではない組織力

日本代表メンバー決定直前のそわそわ感を、なんとか抑えつけて仕事をした一日。
ひと段落してメールを開いた。そして知った、川口能活という“サプライズ”。
今現在、プレーヤーとして「できる」選手を上から順番に並べるのではない・・・
という趣旨のことを、従前から岡田監督は明言していた。
怪我もあって長く代表から外れ、チーム内で控えにまわることすらある川口を選出したことに、
その意図は凝縮されている。
単純な個人力の足し算で組織力を算出できないのは、人間社会のおもしろさだ。
成果主義とリストラで職場の「できる人」化を進めた結果、
たくさんの職場が、とんでもないことになっている。
なにをやっても儲からないときには、
いつ終わるとも知れない愚直な作業に汗を流す人や、
自分の手柄などそっちのけで仲間をかばう人や、
いざとなれば泥をかぶる覚悟でバカな上司に直言する人や、
そんなこんなの、スマートなできる人じゃない人・・・が、とっても必要とされる。
そういう人を根こそぎ追い出してしまったことと、今の日本のカイシャの脆さは、
けっして無関係ではないとボクは思う。
だから、能活だ。酸いも甘いも知り尽くした、代表の生き字引ともいえる、この男。
チームにもどれば不動の地位を確立している選手たちの多くが、
南アフリカでは控えにまわる。ごく限られた出番しか与えられないことも十分ありえる。
しかし、そこで11人以外が11人と一緒に戦えることが、
おそらく日本という組織の強みであるはずだ。
岡田監督が口にする「日本らしいサッカー」の意味には、
そういう要素が含まれているのではないか。
神様ジーコには、それが見えていなかった。
そして4年前の代表チームは、レギュラーと控えがバラバラな状態だった。
結果は知ってのとおり。世界のトップと個人の力で伍して戦える者は一人もいない。
それが現実。しかし繰り返すと、個+個+個・・・の総和と、組織力はイコールではない。
組織という関係性の中で、個人の限界というものは変化する。
限界を拡げる土壌をもっているのが日本だ。おそらく、岡田監督は、そう読んでいるはず。
しょせん決まった正解などない。信じた道を行くだけ。
たんなる一ファンであるボクは、能活の起用でふっきれた。
心中覚悟で応援しよう。

あと一歩だけ前に

あと一歩だけ前に進もう・・・というのは、
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」の主題歌で
スガ・シカオが歌ってるフレーズだ。ボクは、この部分が、やたらと好きである。
この最後のフレーズが分野を超えたプロフェッショナルの在り方に通じる。
そして、バンクーバーのアスリートたちにも。
高橋大輔。4年前、トリノでの惨敗。精神力の弱さを指摘されつづける。
万全を期するはずが選手生命さえ危ぶまれる大怪我。
いつ終わるともわからない治療とリハビリの苦闘。
痛みと、滑れない恐怖と、おそらくは滑る恐怖。たぶん、この3番目の恐怖こそが、
もっとも大きな恐怖だったのではないかと想像する。
そのすべてを乗り越えて、リンクにもどる。
こうしたプロセスがあったからこそ、彼は、あと一歩だけ前に進むことができた。
その一歩は転倒という結果をもたらした。ただし、すぐに気持ちを切り替える強さを伴って。

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