心がさまよっている状態をマインドワンダリングと呼びます。マインドフルネスの反対を「マインドレスネス」と呼ぶよりも、感覚的にはこちらのほうがピンときますね。

神経科学においては、この心がさまよっている状態にある脳のことをデフォルトモード、その状態では脳のあちこちが繋がって活動しているので“ネットワーク”という言葉を加え、DMN(デフォルトモード・ネットワーク)と呼びます。

“デフォルト”といえばテクノロジーの分野では、初期設定とか標準設定という意味ですよね。そこから考えると、脳はあれこれとマインドワンダリングしている状態が標準、ということになります。

マインドフルネスという言葉が一人歩きして、それが善で反対が悪ということだとすると、そもそも私たちは間違った標準設定の脳を持って生まれてきたのでしょうか。どうして神様は、そんな設計をしたのか? いやデフォルトなのだから悪いはずはないのでは・・・と考えたくもなりますが、まさにそうなのです。

 

マインドフルネスのバズワード化で二項対立的に単純化させて、マインドワンダリングはよくない、という誤解を広げてはなりません。

そもそもマインドフルネスもマインドワンダリングも、脳の領域で本格的な研究が始まって20年そこそこです。ですから分からない世界である・・・というのが大事な前提だと思います。それを承知のうえで言うならば、マインドワンダリングがデフォルトであることには、どうやら相応の理由がありそうだということです。

この未開拓の世界を面白く伝えているのが『意識と無意識のあいだ』という本です。著者は認知神経科学と言語の進化が専門の、マイケル・コーバリスという学者です。

著者はさまざまな観点から、人が生きていく上でのマインドワンダリングの必然性を説いています。記憶、メンタルタイムトラベル、物語。この本に書かれている内容を、3つのキーワードから整理してみたいと思います。

 

マインドワンダリングは、さまざまな意味で記憶にもとづいている。記憶がなければ、私たちの心がさまよいこむ場所がない。(本より引用)

そりゃそうですよね。瞑想していてなぜか寿司が出てくるのも、寿司を食べた記憶があるからでしょう(どこで食べた寿司かはともかく)。

人間にとって欠くことのできない記憶というものは、三層構造だと著者は言います。もっとも基本となるのは技能・・・たとえば話すこと、歩くこと、自転車に乗ること、ピアノを弾くこと。今は無意識にできるようになっている技能にも、記憶する能力が欠かせません。

次の層が、たとえば私がこの本を読んで知ったことのような知識、あるいは好きなラーメン屋の場所、仕事で必要な専門用語など。ありとあらゆる知識です。そして最後にくるのが、人生で起きた出来事の記憶。これをエピソード記憶と呼ぶのだそうです。

思いだすことは、それ自体がマインドワンダリングの一部だ。(本より引用)

記憶が引き出されることは私たちが生きる上で必要なことであり、そうであるならマインドワンダリングは必然、ということになります。

ところが、この記憶というものが非常に正確性を欠いているのだということも、著者は強調しています。本には「記憶は詩人であって歴史家ではない」という、マリー・ハウという詩人の言葉も紹介されていますが、その言葉を受けた著者の言葉がより印象的です。

私たちは少なくとも部分的には自分が覚えているとおりの人間かもしれない。しかし、自身の真の姿というより理想の姿をつくりだすために、私たちは身にまとう衣装のように記憶を選択し変更することがある。

その具体例もいろいろ紹介されていますが、この記憶の曖昧さという特性が、次のキーワード、メンタルタイムトラベルにつながります。

未来を構築するために、私たちは記憶の中の過去に大きく依存している。知識やできごとの記憶は、未来計画を立てる材料になる~中略~

私たちの実験によれば、過去のできごとを思いだすときに活性化する脳領域と、未来のできごとを想像するときに活性化する脳領域は重なっていた。脳にとって、この二つの行為のあいだには、ほぼ違いというものがないようだ。(本より引用)

曖昧な(ある意味では都合よく加工される)記憶が未来への足がかりをつくる、ということが、3つめのキーワード・・・物語につながってきます。

記憶が正しすぎる事実(歩んできた過去のデータ)にすぎなければ、今までの自分は・・・だったから、これからも・・・だろう、というかなり固定化された未来しか描くことができないだろう、という趣旨のことを著者は述べています。

より良い未来を描くようなパーパス志向、ビジョンの力は、都合よく加工される曖昧な記憶と表裏一体だということ。たしかに、人を引き寄せるリーダーはストーリーテラーだし、いい会社には素敵な物語がありますよね。

学習は人生で遭遇するできごとにすばやく適応する手段となるが、それでもまだ遅い。私たちは勉学やピアノレッスンをこつこつこなして習慣や慣例を身につけるが、それもシナリオを考えて人生を微調整する能力に比べれば緩慢で柔軟性に欠けるだろう。(本より引用)

イノベーションを起こすために必要な柔らかい発想にも、曖昧な記憶が欠かせないということでしょう。

人間が繁殖期をすぎても長く生きるのは、知識や経験を次世代に伝えるためではないか、という説を著者は支持します。そこでは単なる正確な事実の伝承ではなく、物語が大きな意味をもつのだと著者は述べます。

もちろん、基本的な知識や経験を伝えることの大切さを否定するものではありません。

しかし、物語の効用は知識の伝承をはるかに超え、遊びや空想の世界、架空の場所や人の想像、文化的信念の創造にまでわかる。つまり、物語を語る能力は、ときに個人が犠牲になろうとも、その人の社会集団が生き残る確率を高めることにつながるのだ(本より引用)

よく私の身の回りでも、「妄想」という言葉をポジティブな文脈で使うことがあります。これってマインドワンダリング以外のなにものでもないわけです。

そこでは記憶が欠かせないリソースになっており、しかしけっして生真面目な官僚みたいなデータではないからこそ、緩く適当にアレンジできます。たとえば・・・

「あのときの自分はイケてた。だから、新たなスキルを身につけた今なら、もっとうまくやれるはずだ」と、チャレンジを決意したり。

でも記憶が生真面目な官僚だったら、「正確な記憶は残されていません」「必ずしもそうとは断定できません」などと、冷や水を浴びせるでしょう。

そして、それは偶発的なブレークスルーの契機を見過ごしてしまうことになるのかもしれません。

マインドワンダリングは、やはり人間が生きていくうえで必然のようです。それ自体、悪いことでないどころか、世界を変える源泉でもあるのです。

ただし諸刃の剣でもあります。デフォルトであるということは、当然ながら時と場合を選ばず、基本的にその状態が私たちの脳のモードだということ。

人間が理性を発揮するためには、拡散思考と収束思考、そしてメタ思考という3つの思考が統合的に発揮される必要があります。マインドワンダリングという拡散は人の可能性を解き放つけれど、適切に制御されないと暴発したり、疲弊につながるリスクと紙一重です。

だから拡散しているならそれを認知しているメタな思考が必要で、必要なときにはデフォルトを切り替え、しっかり今の瞬間にフォーカスすることでタスクが進み、たいせつな気づきが浮かび上がるでしょう。

マインドフルネスとマインドワンダリングは、両極にあってスイッチのように切り替わるものではありません。基本的にはその間を常に動きながら、その動き自体にも気づいていることによって、デフォルトがデフォルトである所以が見えてくるのではないでしょうか。

そろそろ話をまとめます。

単なる事実の蓄積が「記憶」だったら、ワクワクする「メンタルタイムトラベル」はできないし、それがなければ現実世界を変容させるもとになる「物語」も生まれない。

心のさまよいは私たちを月や火星へ連れていってくれたが、それは実際に宇宙船や探査機がこれらの天体に降り立つはるか以前のことだった。(本より引用)

マインドワンダリングという神様からのプレゼントに感謝しながら、それを有効活用するために課せられた人間への宿題が、今この瞬間に注意を置き、明晰な気づきとともにある・・・マインドフルネスなのかもしれません。

==========================================

関西大学 × MiLIのコラボレーション

EI講座の開講に向けたキックオフセミナー開催

6月3日(月)19:00-21:00 @関大梅田キャンパス

< EI=感情的知性のスイッチを入れる >

~健康と生産性を両立させるビジネスリーダーの基盤~

 

MiLI東北初のセミナー開催

6月14日(金)19:00-21:00

< 共感コミュニケーション >

~マインドフルな面談が会社を変える~