約20年前、私がはじめて学んだコーチングのプログラムでは、最初のクラスと次のクラス合わせて8時間を「聴くこと」だけに費やしていました。当時、ビジネス誌や専門誌の取材記者として日夜インタビューに明け暮れていた私は、聴くのは得意だと思っていました。ですから、これはちょろいと甘く見ていたのですが、そんなことはありませんでした。オリジナル版CTP(コーチ・トレーニング・プログラム)の開祖、故トマス・レナード恐るべし。

記者がインタビューでする質問は、企画に沿ってこちらが引き出したいことを話してもらうのが目的です。しかしコーチに作為的なアジェンダは不要です。アジェンダはクライアントと一緒につくるプロセスにおいて生成されてきます。

「聴くこと」の8時間において、まず私が手放さなければならなかったこと。それは、自分で話題を方向づけて、相手から出てくる話を予測したり、期待しながら聴く姿勢でした。予測や期待が、聴くことのノイズになっていくことがあります。相手の話す内容、さらにはインタビューがうまくいているかなど、つねに評価や判断が生じてくるのです。

限られた時間で必要な(とこちらが考えている)情報を引き出すことを意図したインタビューで大事なことが、コーチングでは障害になる。そう気づいたところから、自分のコーチとしての旅がはじまりました。

しかし他者と関わりながら、何らかの結果を出したい、出さねばという渇望や、ほんとうに結果を出せるのだろうかという不安のなかで生きている人間にとって、ただ会話のプロセスに身を投げ入れることは容易ではありません。なかなか要領を得なかったり、仕事に火がついている状況で意気消沈している相手などを目の前にすると、ただひたすらノーアジェンダで聴くことの苦痛が高まってきます。

ミルトン・メイヤロフという哲学者が書いた”On Caring”という名著があります(翻訳版は『ケアの本質』ゆみる出版)。人をケアする・・・という行為を、行為を超えて生きる根源から洞察している空前絶後の本だと私は思っています。こんなくだりがあります。

<  ケアには、その相手が、自らに適したときに、適した方法で成長していくのを信頼(Trust)することが含まれる。信頼は、ケアする相手の存在の独立性を、他者は他者なのであるとして、尊重する >

これを東洋的なnon-dual(非二元)の眼でみると、自他の相違に対する目覚めが、分かちがたい真のつながりをもたらす・・・。私は、そう受け取っています。

他者は他者なのである。その視座から聴いていくと、相手への理解とともに、さらなる未知が現れてきます。聴くことで、相手を「私は知らない」と自覚できるのです。聴き手が未知であることに気づいて、他者に寄り添い、聴きつづける。それはコーチングの実践を、パフォーマンスから生き方へ、質的に転換させていきます。

コーチとしての旅で得てきたこの学びは、コーチングという専門領域にとどめておくべきものではないと、私は確信しています(前述の著書が”コミュニケーションの本”でないように)。むしろ専門家によるアート(技法)であるという鎧を脱ぎ捨て、誰もが日常で実感できる体験に浸透させたい。コーチというプロフェッションの存在理由は、「そんなことは、誰にでもできる」という未来に着地させること。

それが実現できた暁には、「おお、人間ってステキ」と語る、人工知能の声が聞こえてくるかも。

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