ほとんどの人に“嘘”がばれていたとしても、法的な責任が問えるかは話が別。しかし道義的な責任については、ちゃんと自分に向き合っていれば感じていないはずはないと思います。

森友加計問題における安倍首相、日大アメフト部の前監督ともに。

彼らの心の中を探索することはできませんが、自分の良心を痛める感覚をどこかで遮断しているのではないかと想像します。

悪いことをしたら、ふつうはどこか気持ち悪い感じがするじゃないですか。悪いことをしようとしているときも同じですよね。

“gut feeling”は直感とか予感と訳されますが、gutは内臓という意味もあります。

なんかイヤーな感じ・・・というやつは、お腹や胸のあたりなどに湧いてくる内臓感覚、あるいは皮膚感覚なんですよね。

こういう「やってはいけないこと」だけではなく、「やるべきこと」から”gut feeling”を考えると・・・。

ほんとうは地球環境や社会のためにBという事業を強化したいけど、株主の圧力や目先の利益のためにAという既存事業に集中している経営者。

それでも一瞬、プランBに注意を向けて身体の感覚と一体になると、突き抜けるようなエネルギーを感じるかもしれません。それこそがリーダーシップの根幹ではないかと私は思います。

良心を痛める”gut feeling”に蓋をしてしまうと、良心を解き放つ”gut feeling”に気づく力も失われてしまいます。人は特定の感情だけを選んで味わうことはできないからです。