昨日は酒井穣さんをゲストにお迎えして、私が理事として携わっているMiLIの月例セミナーを開催しました。

私たちとは異なる観点から、だけど根底では通じてくる普遍的なお話として、マインドフルリーダーシップを語っていただく貴重な時間でした。

さて、ここは私の個人ブログなので、自分の大事な引き出しの一つであるフォロワーシップに絡めたいと思います。

「自分の価値観に沿って生きるのがリーダー」

それが酒井さんの一貫した主張です。
価値観を貫く。たいへんなことです。逆から考えると(昨日のセミナーでもふれられたのですが)、人間はふつう、群れるようにできているのですね。

昨日の例えとしておもしろかったのは、「原始時代、二足歩行で走るのが遅く、体毛も少ない人間が個人行動などしていたら危なくて仕方がなかっただろう」という酒井さんの話。

そんなのは野獣の絶好の餌食になって死滅した。そりゃそうですよね。だから群れる種族が生き残ったのです。この話、よくMiLIで脳の仕組みとして言及することに相通じるものがあります。

環境に適応するために必要だった行動、それを司る脳。そのデフォルトを引きずったまま、子孫である私たちはデジタルテクノロジーの時代を生きている。デフォルトが更新されないために、時代の大きな転換期において「人」という側面から問題が膨らんでいく。

人は、群れるのがふつう。だけど、常に移ろいゆく環境を生き抜くにはイノベーションが必要になる。案外知られていないイノベーションのほんとうの意味、というのも、昨日の大事なポイントでした。

不断に古きものを破壊し、新しきものを創造して、たえず内部から構造を革命的に変化させる

内部から、というのは、自分の奥底からということ。これは私たちが、Vertical Development(垂直開発)と言っていることです。いくらスキルを増やしても(水平開発)、〝アップデートされない自分〟が使うスキルには限界があります。

人は群れるけど、群れに安住しないのがリーダー。

そして酒井さんは動物生態学を紐解き、「ミツバチのダンス」を引き合いにしながら、次のように話しました。

世界を変えるためには、群れ全体に進むべき方向を示す必要はない。世界を変えるのに必要なのは、自分として進むべき方向を決め、そこに向かって、自分が進むこと

なぜそれによってリーダーシップが発揮されるかと言えば、(ここからは私の表現ですが)一部のフォロワーが孤独なリーダーに追随するからです。

群れないリーダーは得てして奇抜であり、平たく言えば、かなりの変わり者。私が敬愛する〝KACHAMAN〟こと、勝屋久さん流にいえば〝ヘンタイ〟です。

たいていの人は〝ヘンタイ〟を嫌うのですが、一部に好き者がいるわけです。スティーブ・ジョブズの傍にも、本田宗一郎にも、もっと古くはヘンリー・フォードにも。

ヘンリー・フォードって、クルマが米国でも高値の花だった時代に、「国民が移動の自由を手にできる社会にする」というビジョンを描きました。世界を変えるんだというぶっ飛び感は、ジョブズと同じですね。

だけど、エンジニアリングも営業も経理も販売チャネル構築も、なんもわからない素人だったの、ご存知ですか。ジョブズがプログラミングを書けなかったように。なんも知らない人がそんな大そうな話をしたら、ふつう日本の社会だったら「ただのアホ」「ホラ吹きやろう」と思われるのがオチ。だけど実現を信じて疑わないのが〝ヘンタイ〟たる所以。

そこに各分野に秀でた好きものたちが集まって、革命的生産方式とT型フォードという国民車が誕生します。未来を見通すリーダーが、孤独を恐れず立ち上がる。そこから一歩も引かない覚悟を示し続ける。それは物語的にカッコいいし、波紋を投げかける存在がいなくてはなにも始まらないのは事実。しかし、一人で世界が変わるわけではない。

群れの住人たちが恐れをなす〝ヘンタイ〟をフォローするのも、相当な覚悟がいります。この人たちも変わっているといえばそうかもしれないけど、まあ言いだしっぺよりは〝ふつう〟にみえる。その等身大の何名かが正真正銘の〝ヘンタイ〟を巧みにフォローすると、最初の組織プレーが現れてきます。すでにこの段階でリーダーシップは、関係性に埋め込まれています。

もう一つ重要なことは、等身大の面々がこのようにふるまうことで、〝ヘンタイ〟の独善性が中和されてメッセージが伝わりやすくなること。

そんなに孤独になれない人たち、いや〝ヘンタイ〟の仲間になんか絶対なるのは嫌だと思っている人たちが、せいぜひ〝ヘン〟くらいかなと思い始め、いやもしかすると〝ヘ〟くらいだろうとなり、何段階かはさんで最後には、このまま同じところにとどまっている自分たちが実は〝ヘンタイ〟と思われているかもしれない・・・という段階までやってきます。

このようにして、実はなにも変わらない群れの論理が、停滞の力から変革の力、推進の力へと変わっていくのです。

これも私のフォロワーシップ研修では定番ですが、『日本が変わるスイッチが入っている映像』は、まさにこれ。

群れのリスクは、数的優位性という意味では変革のリソースです。最後はそこに行き着くことで世界が変わる。そうやって考えていくと、群れと孤独というのは必ずしも対立概念ではないと、私は思います。